野口英世の大量史料、ロックフェラー公文書センターに眠る
米国に息づく世界的細菌学者、福島との絆を強める動きも
2016年1月1日
千円札に描かれている細菌学者、野口英世 (1876-1928) の書簡や、死の直前の闘病記録など大量の史料がニューヨーク近郊のロックフェラー公文書センターに眠っている。
米国に研究拠点を置いた野口が、最後に日本を訪れて100年。
東日本大震災を機に、出身地福島と米国との絆を強める動きも目立つ。
野口は今も米国に息づいている。
公文書センターはニューヨーク市から電車で50分。
ロックフェラー医学研究所の研究員だった野口の史料は7個の箱の中に収められていた。
研究の対象だった黄熱病にかかり、急死するまでの最後の10日間を関係者が克明に記録した報告書。
感染対策のため、棺 (ひつぎ) に密閉された遺体をアフリカから米国に運んだ際の船荷文書。
ニューヨークにある墓地の設計図。
ほとんど知られていない貴重な史料だ。
出身地の福島県猪苗代町にある野口英世記念館学芸課の森田鉄平さんは、
「野口に関する英文の史料は十分研究されていない。本格的に調べれば新たな一面が見えてくると思う」と語り、米国に残る史料の重要性を指摘する。
「科学への献身を通じ、人類のために生き、亡くなった」。
ニューヨークのウッドローン墓地にある野口の墓には、こう刻まれている。
2008年に米国の日本人医師会などが墓石の傷みを修復。
今も命日には法要が続けられている。
東日本大震災をきっかけに、ニューヨークの医大と福島県立医大の交換留学も始まった。
被災地で緊急支援活動に当たった米国の日本人医師会幹部の柳沢貴裕さんは「野口のことも頭に浮かび、何かできないかと考えた」と振り返った。
貧しい農家に生まれ、1歳で左手に大やけどを負うなどのハンディをはねのけた野口は、梅毒スピロヘータなどの研究で功績を挙げ、ノーベル賞候補にもなった。
苦学の研究者というイメージが強いが、チームプレーが苦手な性格や、浪費癖などの側面も伝えられている。
そんな野口は猛烈な研究の合間に、ニューヨークにある邦人の親睦団体「日本クラブ」 で将棋を指していた。
日本クラブは昨年10~11月、設立110年を記念して野口英世展を開いた。
一生を描いた映画『遠き落日』の上映会もあり、帰国した野口が年老いた母と再会するシーンに多くの人が涙した。
「黄熱病をほとんど何も分かっていなかったんだね」。
自らの発病で、自分の研究の誤りを知った野口は病床で無念の思いを語った。
私たちが野口英世について知らないことも、まだ数多く残されているようだ。
(2016年1月16日号掲載)