「ハブと拳骨」 東京国際映画祭での舞台あいさつ |
1975年福島県会津若松市生まれ。2000年にボクサーから転身して「Nike」のCMでモデルデビュー。「Levi's」のCMにも出演。その後、俳優としても活躍。主な出演作には 映画「ラストサムライ」「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」「ハブと拳骨」「BUSHIDOMAN ブシドーマン」などがある。2015年に渡米。現在、ロサンゼルスに拠点を置き、Micky Kogaとしてハリウッドをはじめ英語圏の映画に出演。プロボクシング、キックボクシング、ブラジリアン柔術、空手、修斗セコンドなど、多くの格闘技ライセンスを保持している。
「2017 コミコン」のゴジラのパネルゲストとして、虎牙光揮さんがサンディエゴを訪れました。プロボクサーからモデル、そして、俳優として活躍している、そんなユニークなキャリアを持つ虎牙さんにお話を伺いました。
プロボクサーへの道
小学生の頃からスポーツで飯を食おうと決めていたんです。体育の成績が良かったので。父がボクシングファンで、テレビに釘付けになって一緒に世界戦を見てましたね。高校入学後、伸び盛りの3年間を無駄にしたくないと、親を説得し、高校を中退して16歳で上京。職安で左官屋の仕事を決めて、寮に住み込み。新宿の協栄ボクシングジムの門を叩きました。
どん底に落ちる経験
いろんなアルバイトをしながら、勝つためにはどうすればよいか。そればかりを考えて練習に励んでいました。でも、プロになってデビュー直前の18歳の時にライセンスを剥奪されたんです。トレーナーとの意見の食い違いが大きなことになってしまって。人生終わったなと。どん底に落ちる経験を味わいました。
人生に影響を与えた人物
ボクシング元世界チャンピオンの鬼塚勝也さん。協栄ジムで付き人をさせてもらっていたのですが、自分に甘えず、防衛を重ねる毎に厳しくなっていく。そんなストイックな「孤高のボクサー」から技術だけでなく、人生で大切なことを教えてもらいました。アメリカのキャンプに連れてきてくれたのも鬼塚さんでした。若くてお金もないので、野宿もしましたが、ボクシングを再びできる喜びをかみしめました。
モデルへの挑戦
日本でお金を稼いで、アメリカでボクシングをする生活を続けていた時、友人に誘われて24歳でモデル事務所に所属したんです。ちょっと舐めた感じの軽いノリで、最初のオーディションを受けたら見事に落とされた。でも、そんな自分の姿勢が腹立たしくなり、こんな気持ちになるんだったら、一度真剣にやってみようと受けたのがNike。体を鍛え直して、当日スペシャルスキルとして、思う存分、シャドウボクシングを披露したら、採用されました。
ボクシングの試合に挑むように
Nikeの時は、控え室に2時間くらい引きこもってイメージトレーニングをしてから撮影に臨んでいました。後楽園ホールの控え室のように。その方法しか知らなかった。CMは好評で、3シーズンやらせていただいて、Livi’sのCMにも出演しました。ストリー仕立てのCMで役者の面白さを知り、演技の学校にも通いました。「ラストサムライ」もオーディションで手にして、その後、ゴジラの主演や、たくさんの役者の仕事をもらえるようになったんです。
俳優とプロボクサー
カメラの前に立って、カチンコがカチと鳴る瞬間が、試合開始のゴングに聞こえるんです。台本をもらって、役作りのために毎回、減量したり、増量したり、リングに向かう感覚で自分を作り上げていく。試合に、そして演技に命を懸ける。リングで果たせなかった夢を映画に託しているんです。
座右の銘
「やればできる。できないのはやらないからだ」。小学校の校長先生が毎日朝礼で言っていた言葉です。当時は意味も分からず聞いていたんですが、ずっと耳に残っていて、不思議と力がみなぎってくるんです。
日本の代表としての俳優
演じる役によって別人になれる、いろいろな色に染まることができるカメレオン俳優を目指しています。初めてプロデュースと主演を手がけた映画「BUSHIDOMAN ブシドーマン」は、2014年の「Japan Action Awards」の優秀賞、カナダの映画祭で準グランプリに選ばれました。日本代表としてアメリカに行けると思った作品です。
これからの夢
私生活では格闘家、仕事が俳優、そんな人生を歩んでいきたいですね。どちらも見る人の心を動かすことができます。今はハリウッドに挑戦しています。いつか、世界一の役者に、そしてプロデューサーや監督にもチャレンジしたいです。オーディションを受けなくても、どんどん仕事が来るようになったら、ぜひ大好きなサンディエゴに住んでみたいです。(笑)
(2017年8月16日号に掲載)