Thursday, 26 March 2026

ベートーヴェン 交響曲第9番

 夏に『第九』を堪能するプログラム SDシンフォニーが贈る荘厳な世界

 

Beethoven’s Ninth Symphony
2022/5/27 (金) & 5/28 (土)
San Diego Symphony
https://bit.ly/3wZzRsl

 

交響曲第九番


2006年、2つの映画が公開された。

1つはベートーベンと女性写譜師の交流を描く「敬愛なるベートーベン」。

もう1つは史実に基づき第一次世界大戦で旧日本軍の捕虜となったドイツ軍兵士の交流を描いた「バルトの楽園」だ。

この2つの映画は、あるベートーベンの楽曲をストーリーの主軸においている。

その楽曲こそが交響曲第九番なのだ。

交響曲第九番は、ベートーベン晩年の1824年に完成したベートーベン最後の交響曲だ。

交響曲第九番の最大の特徴は、合唱を取り入れていることだ。

そもそも声楽と交響曲は交わらないものと長年考えられてきたが、ベートーベンによって一般的な形に仕上げられたのだ。

交響曲第九番は日本では「第九」と呼ばれ、年末の風物詩としても親しまれている。

第九最大の特徴「歓喜の歌」

「第九」といえば最初に思い浮かぶのが、「歓喜の歌」ではないだろうか。

「歓喜の歌」の歌詞は、全てがベートーベンの作詞ではない。

元々はドイツを代表する作家の一人であるフリードリヒ・フォン・シラーによって書かれた「歓喜に寄す」という詩を元にして、ベートーベンが編集したものを使用している。

ベートーベンは冒頭の「おお友よ、このような音ではなく心地よい歓喜に満ちた歌を歌おう」の部分を書き足しただけなのだ。

「歓喜の歌」=第九?

毎年のように各地で第九が日本語訳詞か原語のドイツ語詞で歌われているため、第九とは「歓喜の歌」そのものを指すと誤解している人も多いのではないだろうか。

実際のところ、「歓喜の歌」のパートは最後の第四楽章のクライマックス部分だ。

第九を第一楽章から通しで演奏していくと、全体で大体75分前後かかることはCDの長さを決める話などで有名な事実だ。

つまり、75分の3分の2を過ぎた頃に合唱パートの出番が回ってくるのだ。

ただ、日本の場合は第九の演奏会自体がイベントとなっているので第一楽章から通しで演奏される機会はほとんど無いといっても過言ではなく、「歓喜の歌」のパートだけを編集したものを「第九」として演奏することが多いだけなのだ。

「歓喜の歌」は無くなるかもしれなかった

ベートーベンの伝記では、第九の初演は大成功を収め難聴の進行で耳がほとんど聞こえなくなっていたベートーベンは助手に促されるまで聴衆が大声援を送っていることに気がつかなかったという記述がなされている。

しかし、実際には第九は初演こそ成功であったものの合唱を取り入れた第四楽章が理解されず、第一楽章から第三楽章までが演奏されていたのだ。

「歓喜の歌」を含む第四楽章の不遇は、ベートーベン自身も気にかけていたようで器楽曲としての再構成を図っていた形跡が散見されている。

最終的に第四楽章と「歓喜の歌」は、ワーグナーによる新解釈が加えられたことによって再評価の機運が高まり、現代に残されているのだ。

日本と第九の関係

日本において、第九が初演奏されたのは第一世界大戦真っ只中の1918年のことだ。

当時の日本軍は、ドイツがアジア方面の橋頭堡として押さえていた青島を攻略し5000人近くのドイツ人兵士を捕虜としたのだ。

そのうちの1000名が現在の徳島県鳴門市に作られた「坂東俘虜収容所」に送られ、終戦までをすごした。

この収容所の所長を務めた松江豊寿(まつえ・とよひさ)は人道に則った扱いを行い、現地の住民とドイツ人の間の交流を促進させたのだ。

後にスイスに移されたドイツ人捕虜たちは「松江ほど素晴らしい捕虜収容所の所長はいない」と評している。

この時、ドイツ人捕虜によって結成されたオーケストラによって1918年6月1日に、日本で初めての第九演奏が行われたのだ。

このエピソードが、前述の映画「バルトの楽園」の元になっているのだ。

第九とドイツ

第九は、戦後の世界においては「自由と平和の象徴」として世界各地で演奏されてくる。

第二次世界大戦後再開された、ワーグナーが興したバイロイト音楽祭で最初に演奏されたのは第九であるのは有名な話だ。

この瞬間からドイツの戦後復興において、第九は欠かせない楽曲として演奏されていくる。

1989年のベルリンの壁崩壊に際しては、ドイツ語で歓喜を意味する「Freude」を、自由を意味する「Freiheit」に変えて歌われるなど、ドイツの歴史の節目で歌われている。

現在、EU(欧州連合)の歌として「歓喜の歌」を採用する動きがある。

交響曲第九番全体の曲調

交響曲第九番は、どうしても「歓喜の歌」だけがクローズアップされることが多いのだが、第一楽章から通して繰り返し聴くと新しい驚きを発見できる、素晴らしい楽曲であるといえる。

第一楽章の冒頭ではテレビCMなどでも使用されるフレーズが提示され、トレモロなどの反復演奏によって内容がどんどんと膨らんでいくる。

第九は、第一楽章からクライマックスとなる「歓喜の歌」への伏線が張り巡らされていくという、計算された構成になっている。

弦楽器の軽やかで心地よい音の重ね方や、管楽器によるメロディの盛り上げ方など、まさにベートーベンの作風の集大成であるといえる。

「歓喜の歌」自体は単品でも十分に素晴らしい楽曲であるといえるが、時間を掛けて第一楽章から通しで聴くことでその魅力は何倍にも高まるのだ。

交響曲第九番の意図とは

日本では、憲法第九条と第九を関連付けたコンサートを開く団体などがあるが、ベートーベンはそんな矮小な目的のために第九を作曲したわけではあらない。

ベートーベンが第九に込めたのは、シラーの「歓喜に喜す」に込められた「友人や愛する人のいる人生の素晴らしさ」なのだ。

ベートーベンは癇癪もちではあったが、交流を深めた友人も不滅の恋人もいたし、音楽と難聴を通して生きていることの素晴らしさを知っているのだ。

だからこそ、200年近くも人々に受け継がれる不滅の音楽となった第九を作曲できたのではないだろうか。

 

アーティストとレパートリー
ラファエル・パヤーレ(指揮)
アリサ・ワイラースタイン(チェロ)
フェリシア・ムーア(ソプラノ)
ロニータ・ミラー(メゾ・ソプラノ)
マリオ・チャン(テノール)
陳 培信(バス)
サンディエゴマスターコラール

エドワード・エルガー:チェロ協奏曲 ホ短調 作品85
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:交響曲第9番ニ短調作品125、合唱曲

ラファエル・パヤーレは、クラシック音楽の中で最も象徴的でパワフルな作品を指揮し、ラディ・シェルで見逃せないシーズンのフィナーレを迎える。

ベートーヴェンの交響曲第9番だ。冒頭の劇的な緊張感から、シラーの反抗的な政治詩「歓喜の歌」に合わせた輝かしい合唱のフィナーレまで、この交響曲は私たち全員を引きつけ、共通の人間性を祝福し抱擁するものだ。

コンサートは、スーパースターのチェリスト、アリサ・ワイラースタインがエドワード・エルガーのチェロ協奏曲で幕を開ける。

チケット: $25-$90